戒厳令が38年ずっと・・・

続いてた台湾。
1949年から1987年まで「戦時下」が続いてたわけです。
それは外には中国で国内には台湾人と「敵」を内外に受けたため当時の国民党
政府がそうしたわけです。

台湾人はかなりひどい目に遭わされたそうです。
台北駅の南にある「228和平公園」はその時の慰霊と紀念にと名付けられた
そうです。1949年に始まった台北で起き台湾全土で台湾人が蜂起した228事件
から始まる「白色テロ」(台湾人への大量虐殺)での被害は未だ実数が定かで
ないそうです。
処刑は至るところで行われ遺骸はそこらじゅうにあったそうです。

何しろ未だに遺骨が出るとのこと。


(こうやって大陸から来た中国人を歓迎したそうですが見た人はその身なり
と身勝手な行動かつ非衛生的そして識字率の低さに唖然としたそうです)


今夏の台北ではその公園内にある「228紀念館(事件当時のラジオ局で台
湾人が占拠し日本語で台湾全土に呼びかけた)」で日本人だったおじいさんから
その当時の話を聞きました。

台北近郊の都市「基隆」で行われた図です

手と足に針金を通し処刑してます。
国民党兵士がやってます。

おじいさん曰く当時、
「近所の人がある日いなくなってもそれについて誰にも話してはいけない」
「夜3人で話してたおじさんたちはその夜からいなくなった」
「ある家族はお父さんが突然いなくなったしかしあたかも前からいなかった
ように話す家族が居た」など「物が言えない時代」とのことでした。

戒厳令が終わってから台湾に行き始めたので戒厳令下の旅はしてません、
ですが行った人に寄ると「鉄道の鉄橋のたもとのは必ず兵士が居た、
鉄道を撮ろうとしたら怒られた、日本語が今のように大大的になかった」など
を聞きます。(日本語、台湾語は全面禁止!)

で今日最初に載せた写真です。
空襲を受けたら逃げろという案内図です。
戒厳令の置き土産のひとつです。


(横向きで失礼、訓練の断り書きです)

今でも台湾では防空訓練があります。一度出くわしましたが街は静かになってました。
でもすぐ戻りましたが。

すべては李登輝さんの登場で劇的に変わったそうです。
ちなみに李さんは終戦のときうちの近所の名古屋城に居たそうです。
身近な感じです。